オススメの駒込から白山散策ルート。駒込は一富士、二鷹、三茄子。

散策 散歩

昨日はぷらっと文京区白山の辺りを散策してきた。白山神社では昨日から紫陽花祭りが開催されたのでかなりの人混みであった。JR駒込駅から地下鉄白山駅までちょうど1万歩くらいの散策なので紹介していきたい。一富士、二鷹、三茄子と聞いたことはあったが、まさか駒込の地を指すとは知らなかった。

まずは駒込富士神社へ

大きな塚の上に建っている神社で、一説によるとこの塚は前方後円の古墳であったという。寛永6年(1629年)加賀藩前田候が上屋敷(現東京大学構内)を賜るにあたり、この地に移転したと言われている。45度くらいある急こう配の石坂を登るとそこに神社が現れる。富士山付近から溶岩石を持ってきたそうで至るところに置いてある。まさにこの高台から富士山がとても綺麗に見えたのであろう。

駒込名主屋敷

駒込富士神社から歩いているととても古い家屋にたどり着いた。空襲を免れたのか300年前からの建築家屋らしくいまだに現存している。立札を見ると次のように書いてある。
「慶長の頃、当時伝通院領であった駒込一帯の開拓を許可されそのまま土着した高木家の屋敷」だという。地主とはよく聞いたことがあるが、名主(なぬし)とはなかなか聞かない呼び名なので中々興味深い。家の門の前に行くと小さく貼り紙で「左の戸から屋敷内に入れます。家屋の中は不可だが、敷地内から家屋を見れます」と書いてあったので、遠慮なく敷地内に入る事にした。

この高木家はかなり位の高い家柄のようで、高台の玄関を作る事は一般の町屋では許されていないこの時代にしっかりとした高台の玄関を構えていた。かなり格式の高いもので東京都の重要文化財に指定されているほどだ。

駒込天祖神社

社殿は1189年に源頼朝が奥州征討のおりにこの地に立ち寄ったのが起源。頼朝公に霊夢のお告げがあり神明を祀ると言われている。江戸期に再興されたが昭和20年に空襲で焼失。戦後に再建。

お金にご利益がありそうな石もあったので、思わず小石を亀の上に載せておきました。小石を置くのが正解とはどこにも書いてないのであしからず。(笑)

一富士、二鷹、三なすびと言うよね?!

さきほど出てきた富士神社から富士山を見て、その裏には鷹匠の屋敷があり、そしてこの土地には大きな農地が広がり茄子を栽培していたのだという。なので駒込というのはこの言葉の発祥地であるのだ。道路の標識にもそのように書かれていたので写真を撮っておいた。この言葉、川柳が駒込の土地を表していると知っている人はどのくらいいるのだろうかと思ってしまった。

駒込吉祥寺

吉祥寺といえば中央線の武蔵野市にある吉祥寺をすぐにイメージするが、なんと吉祥寺には「寺」はなくここ駒込にあるという。びっくり。太田道灌が江戸城築城の際に井戸から「吉祥増上」の金印を見つけ、城内に一宇を設けたのが始まり。天正19年に現在の水道橋(元は吉祥寺橋)一帯に移ったが、明暦の大火で焼けてしまいこの地に移転。門前町の住人はこの辺りには住めず今の武蔵野市の吉祥寺に移ったと言われている。

境内に入るとすぐに「二宮尊徳」のお墓があった。

南谷寺(なんこくじ)は目赤不動尊という

ここのお寺は南谷寺なのだが、別名では「目赤不動尊」という。今まで「目黒」とか「目白」と黒か白は聞いたことあるが、赤は初めて聞く。実は東京には他にも青や黄の不動尊があるという。
赤は南谷寺で文京区駒込、黒は瀧泉寺で目黒区下目黒、青は教学院で世田谷区太子堂、黄は永久寺で台東区三ノ輪と最勝寺で江戸川区平井、白は金乗寺で豊島区高田にある。これをまとめて「江戸五色不動」というそうだ。とても勉強になったし、驚いた。

八百屋お七

八百屋のお七とは、「恋のために放火し火あぶりにされた八百屋の娘」のことを指す。ここ駒込が舞台となった実話らしい。かなり大きな八百屋の娘なので、箱入り娘といったところかもしれない。天和2年1682年に近くの寺院から出火し、大きな八百屋が火事になった。一時的に避難したのが菩提樹の「円乗寺」であった。その避難中、寺の小姓の吉三郎と恋仲になった。箱入り娘の禁断の恋というところだろう。やがて実家は再建し戻るのだが、恋の炎は消えないどころか会いたくてたまらない。会いたい一心の気持ちでつけ火をしてしまったのだ。また火事になれば円乗寺に避難し吉三郎と会えるかもしれないと思ったのだろう。まさに若気の至りというやつだ。その後放火の大罪で逮捕されたお七は火あぶりの刑に処せられた。まだ数えで16歳という若さであった。

その物語は伝聞を広め、井原西鶴の「好色五人女」など色々なものとして書かれたと言われている。そんなお七がいたのものこの駒込なのである。一富士、二鷹、三茄子の茄子が沢山取れる土地であることも関係しており、その茄子などの野菜を取り扱っていたのがこのお七の八百屋ということなのだ。伏線回収のようになんとも繋がる茄子の畑と八百屋お七。そんな若いお七を思い浮かべながら手を合わせてきた。合掌。
日本舞踊にもなっているそうです。 https://oreno-nihonbuyou.com/maboroshi-oshichi/

白山神社 文京あじさい祭りが開催

社伝によれば、天歴年間(947年~957年)に現本郷一丁目に創開、元和年間に現在の小石川植物園内に移ったが、その地に徳川綱吉が白山御殿を造営したので明暦元年に現在地に移築した。綱吉の生母桂昌院の厚い信仰を受け小石川の鎮守として栄えた。
訪れたこの日はちょうど「文京あじさい祭り」が開催された6月10日で沢山の人が訪れていた。写真では分かりづらいが、一年にこの期間だけ小高い丘に入れるようで、この日も行列が出来ていた。
https://event-checker.info/bunkyo-ajisai/

白山神社の至る所にあじさいが咲いており、とても綺麗な神社なのでお近くの際はのぞいてみるといいと思う。この丘に登るには1年でこの6月初旬だけなのでご注意を!

まとめ

JR駒込駅から地下鉄白山駅までざっと1万歩。今回はあえて一番有名な六義園や東洋文庫には行きませんでした。当然、六義園は小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園の一つですので是非行かれてみてください。今回富士神社から白山神社までの道のり、歴史に触れながら、また物語を回想しながら歩くのはとても知的好奇心が刺激され、また健康にもよく、素晴らしい散策でした。途中、素敵な喫茶店(文京区向丘2-34-5 店名分からずですみません)にてお茶とケーキで休んだりしたので、それほど辛くはなく過ごせた。是非ともオススメしたい散策ルートでありました。お疲れさまでした。

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